2005年12月11日
釣りのこと(ちょっと長め)
子供の頃から、釣りは好きだった。とは言っても、大した道具も持ってなくて、延べザオで雑魚釣りをする程度だった。でも、たまに親父から釣りに誘われると、暗いうちから起き出して、喜んでついて行った。
社会人になって、本格的に釣りを始めたのは、バス釣りからだった。いや、いきなりバス釣りを始めたわけではなかった。延べザオでエサ釣りをすると、至る所でブルーギルが釣れる。一般的にはギルは嫌われ者だが、私はそうではない。しかし、ギルはすぐにハリを飲み込むので、エサ釣りでは死なせてしまうことも多く、それがイヤでルアー釣りを始めた。
バス釣りは、かなりハマッた。一番好きだったのは、人の少ない野池でのフローターの釣り。滋賀県の某所にお気に入りの野池があった。バスのサイズは大きくても35cmどまりだったが、20cmオーバーのギルもいて楽しめた。魚が目線の高さでジャンプしたり、自分の真下に潜っていったりするフローター独特の世界が最高に楽しかった。
バス釣りと平行して、ヘラ釣りを始めた。バス釣りとは全く違う面白さ。ウキのトップが5mm沈むか沈まないかの小さなアタリをじっと待つ。管理池の釣りも面白いが、野池にヘラ台を出して、常連のおっちゃんらと「サワらんなぁ」「ほな僕が触りましょか?」などと駄弁りながら釣るのも楽しい。正月休みに釣りをしていて、途中で雪が降ってきて、竿の上に細く積もる中、1枚だけ釣って帰ったこともあった。
最近は、ご近所の釣り仲間と海釣りをやっている。海釣りの場合、釣った魚を食べる楽しみが加わる。魚も捌けるようになった。今まで嫁さんに「食べられる魚を釣ってきて」と言われていたので、肩身の狭さは多少ましかもしれない。まあとにかく、自他共に認める釣りバカであることには違いない。
でも、バス釣りはとんとご無沙汰。というか、全くやっていない。別に嫌いになったわけではないし、「久々にやってみるかな」と思うこともある。でも、少なくとも昔行ってた琵琶湖へはもう行かない。
琵琶湖では、在来種保護のため、外来魚の再放流が禁止になった。釣ったら持ち帰るか、釣り場に設置してある回収網に捨てろということになっている。つまり、キャッチ&リリースが認められない。
確かに、バスやギルによる在来種の食害は間違いなくある。私は専門家ではないので、この措置の是非をとやかく言うつもりはない。ただ、釣った魚を食べもしないのに殺してしまえ、というのは生命に対する冒涜のような、というと言い過ぎかもしれないが、抵抗がある。ヘラ釣りをやっていても、まれにバスが掛かることがある。ギルもヘラ釣り定番の外道である。それを無造作に後ろに放り投げる奴がいる。バス釣りに来ている小学生の目の前で。ヘラ台ごと池にはめたろか、と思う。やらないけど。
バスやギルの食害は非常に複雑な問題で、いろんな考え方の人がいて、それぞれに一理ある。残念ながら、いまバス釣りをやっていても「気持ちよく」釣りできない。それが、バス釣りご無沙汰の理由。
バスに限った話ではない。海釣りでも、外道のエサ取りはぞんざいな扱いを受ける。堤防には干からびた外道がいっぱいである。
私は釣り好きだが、根本的には残酷な遊びだと思っている。バス釣りもヘラ釣りもキャッチ&リリースを前提にしているが、魚の口にハリを掛け、引きを楽しむというのは、人間のエゴだ。それでも、釣りの楽しさには抗えない。だから、本命であろうが外道であろうが、食べるのが目的でないのなら、釣った魚をなるべくダメージを与えずに水に帰してやるのが、せめてもの罪滅ぼしだと思う。
ちなみに、私が初めて自分で捌いて食べた魚は、野池で釣った、ハリを飲ませて死なせてしまったバスだった。さすがに怖かったので、よ~く火を通して食べた。合掌。
だらだらと書いてしまったが、要は「生命を大切に」ということ。
釣りは楽しい。たぶん一生やめない。でも、自然の中で「遊ばせてもらっている」という気持ちは、持ち続けていたい。
…とこんなことを考えつつ、大物釣りたいと願っている。